古屋秀樹

Hideki Furuya

未来英語塾 代表

中津燎子式発音訓練の伝道師

日本の大学を卒業後、30代で米国の経営学大学院を修了。外資系不動産コンサルティング会社に勤務しながら、20年間にわたってボランティアで英語教育活動を続ける。

Profile Picture

Message

こんにちは、未来英語塾代表、古屋秀樹です。

現在、私は外資系の不動産開発管理業務を行うカリー&ブラウン(ブラウン)ジャパンで、不動産開発コンサルタントとして働いています。

その傍ら、ボランティア活動として、20年間、英語指導活動を続けてきました。この度、その活動組織を離れ、新たな英語学習機関、「未来英語塾」を立ち上げました。

私は北海道剣淵町という小さな町で生まれました。受けた英語教育は、多くの日本人と同じ中学校からの公教育です。中学、高校、大学は日本の学校を卒業しました。大学卒業後、新卒として入社した清水建設において、米国の経営学大学院に社命留学する機会に恵まれました。留学は経営学の知識を習得するのみならず、広く米国社会を知る良い機会でした。しかし、こと英語に関して言えば、4技能のうち「書く」、「読む」は伸びましたが、「話す」、「聞く」は思ったほど伸びませんでした。院修了後、日本国内勤務に復帰し、英語鍛錬は継続していましたが、英語に自信を持つほどには至りませんでした。

そのようなおり、「中津燎子の英語未来塾」(以下、「未来塾」と呼びます)を知り、41歳にて入塾、当初は生徒として、途中から講師として活動を続けました。そのことは、単に英語力が向上したというだけでなく、英語そのものの見方が変わりました。そして、英語という「玄関」を通じて広く世界とやり取りする機会を私に与えてくれました。

上述したように、私は帰国子女どころか、片田舎で音の悪いラジオでNHKの英語講座を聞きながら勉強した普通の人間です。そのような私が、数多の試行錯誤を重ねながら、多国籍の関係者が英語でやり取りする不動産開発プロジェクトをまとめる立場で仕事をするところまで来ました。未来塾で中津先生に習ったことは、英語学習の大きな転機になりました。しかし、それは誰にでも開かれた機会です。また、それは優れた学習方法ですが、魔法の杖ではなく、それ以外も含めた地道な鍛錬が必要です。

私たち未来塾講師は、中津先生から人生の宿題とでもいうべきことを幾つか与えられました。一つは、未来塾教授方式を分かり易い図書としてまとめること。もう一つは、国連で演説できる人材を育てることです。前者は私が担当してまとめました。後者はまだできていません。私自身が国連で話すことはないかもしれませんが、未来英語塾でそのような人材を育てていきたいと思います。

Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012